人間誰しも、自分が思っている自分の声と実際の声は、多少なりとも違って感じていると思う。
 私の場合、子供の頃にたまたま録音されたカセットテープ(←いつの時代だ?)の自分の声を聞いて、このことに気が付いた。
 自分では、勝手に「超」の付く美声だと思っていたのだが、実際にはかなりのダミ声であった。

 自我の成長につれて、自分の声を聞くたびに、その声がまったく気に食わなく感じてきた。
 そんなこんなで、いつの頃からか自分の声を聞く機会を自ら遮断し続けてきた。
 自分の中でだけでは「美声」のつもりを続けていたわけである。

 そんなこんなで40年以上の時間が流れたわけだが、時々こんな私の声を気に入ってくれる変わり者もいたりはしたが、自分でもあまりに長い間自分の声を聞いていなかったので、もはや自分の声がどんな声だか分からなくなっていた。
 ひょっとしたら、瞬間的に美声に変わっていたときに間違って気に入られたのかもしれない。

 自分が聞かなくても、他人は毎日自分の声を聞いてくれていて、いや、聞かされていて、特に文句を言われたこともないので、所詮、他人の声なんてイチイチ人は気にしないものなのだろう。(単に、大人の対応で、文句を言ってこないだけかもしれないが)

 このことで、録音機が普及し始めたときなどは、会議の記録とかは音声で一旦取っておいて、あとでまとめる方が楽だったりするのだが、自分の声は聞きたくないので、その手段は取れなかった。
 また、咄嗟に何かを文字でメモる代わりに音声でメモる方がはるかに楽だと知っていながら、この手段も取れなかった。
 その結果、結構無駄に時間を使ってしまったような気がする。


 最近、ある習い事を始めることになった。
 取るに足らない習い事ではあるが、コロナ禍ということもあり、その習い事は1対1のオンラインで実施されている。
 先生は、あとで復習できるようにと、その習い事の授業を録画してくれていて、いつも終了後に送ってくれるのである。
 つまり、復習するためには、聞きたくない自分の声を、見たくもない自分の顔付きで聞かないといけないという苦痛が、予期せず私に訪れることになった。

 2週間ほど録画を見ることも聞くこともなく無視していたのだが、習い事の進捗において、復習をしないとかなりの時間の無駄になるので、意を決して録画を見ることにした。
 自分の声は、相変わらずの、40年ほど前に最後に聞いた自分の声であった。当然ながら、あの頃よりはクタビレていて、さらにひどい声になっている。

 しかし、昨年の心筋梗塞以来、「残りの時間」という単語が人生の最優先事項となっているのと、「この歳になってコンプレックスなんて気にしても仕方がない」という「悟り」か「神のお告げ」か分からないが、、、によって、この苦痛になんとか耐えることができた。
 そんなことを数週間繰り返していると、だんだんと自分の声に慣れてきた。
 と言っても、相変わらず嫌な声であることには変わらない。単に慣れてきただけである。

 自分の声を頻繁に聞くようになって、今反省しているのは、「声の気に食わなさは仕方がないとはいえ、昔からちゃんと聞いていれば、話し方などはもう少しマシになっていたのではないか」ということである。
 自分の声に対する自信のなさから、会話そのものがうつむき加減になっている気がする。
 今更感はあるが、こんなことにこの歳で気付いたのも、何かのお告げかもしれない。


 そういえば、心筋梗塞以来、「残り時間」と「年齢による悟り」によるのか、今までの人生では消極的だったことに対して、少し積極感が出てきたような気がする。

 まさに今更ではあるが、100歳まで生きるならまだヒヨッコだと思うことにしよう。

Exercise Today

Walk6.5 km @ 11.02/km (by Garmin)
Steps14,828 (Apple Watch)
Sit ups30

Calories Today

カスタードクリーム216
オールドファッション293
パン食べ放題(BAQET)664
ローストビーフサラダ242
シューマイ39
小籠包60
春巻144
肉汁そば537
間食
ダイドーブレンド アメリカン カフェオレ116
トロピカーナ エッセンシャルズ マルチビタミン123
苺のショートケーキ314
プリン116
摂取カロリー合計2,864
消費カロリー2,482 (Garmin)
消費/摂取超過+382
脂肪換算+53g
体重X3kg

Mt.Fuji Today


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