『一億人の季語入門(長谷川 櫂)』を読んだ。
 この本に先行して、『一億人の切れ入門(長谷川 櫂)』も先週読んだ。

 どちらの本も現時点の私にはレベルの高い本であった。
 しかし、『一億人の切れ入門』では「切れ」がどれほど俳句の世界、さらには日本文化に重要なものかということはよく分かった。
 その重要な「切れ」を自分の作る俳句で使いこなせるには相当の時間が掛かるだろう。

 今回読んだ『一億人の季語入門』については、季節ごとの「季語」の代表的なものを取り上げ、その「季語の本意」やその季語を使った俳句についての解釈を知ることができる。
 ところが、最高気温が10度にもならないこの季節に「蛍」や「蚊帳」と言われてもピンとこないし、図書館への本の返却期限も迫っていたので、今の季節の章を読んだあとは流し読み程度に読むことにした。

 ということで「春」の章のところは真剣に読んだあとペラペラとページをめくっていた。(というか、今が「春」なのか…)
 すると、季節別の各章の代表的な季語の解釈はさておき、各章で各論に入る前の、作者による俳句についての思いが書いてある部分が、衝撃をうけるほどの勉強になった。
 「こういうことを知らずに「季語」だ、「切れ」だ」とテクニックに走ろうとしていた私を猛省させるに十分な内容であった。

 例えば、「江戸時代の人々はどんな時間(感覚)の中で暮らしていたのか」という部分。
 正直今までそんなことを考えようともしなかった。

 作者の説明によると、
 1) 今と違って旧暦(太陽太陰暦)を使っていた
 とのことである。
 さすがに、それくらいは知っていた!

 現在の太陽暦では、冬至の10日くらいあとの真冬のど真ん中で新年が始まるが、太陽太陰暦では、立春の前後に正月が訪れていた。
 確かに、日本以外のほとんどのアジア諸国の(旧)正月はその時期だ。
 よって、正月=春の初めであった。
 、、、という説明を受けて初めて「新春」とか「初春」という意味が分かった。

 作者のもう一つの説明は、
 2) 1日の基準の時間は、「日の出」と「日の入り」である
 ということである。
 どういうことかというと、現在の時間の基準は「午前零時」で「午前零時から午前零時までを24等分した時間」が「1時間」とされているが、江戸時代までは、「日の出から日の入りを6等分した時間」を「一刻」、「日の入りから日の出を6等分した時間」も「一刻」としていたというのである。
 そんなことをすれば、春分と秋分以外は、日の出ている時間帯の「一刻」と日の出ていない時間帯の「一刻」の長さは違うことになってしまう…
 と、そんなことはありえない風に書いたが、この時計が元々使われていた時計なのである…

 作者はこの「ゆらぎ」のある時間システムの中から様々な季語が誕生してきたというのである。う〜む、深い。
 現在の我々は、春が近づいて「日が長くなったな〜」という感覚だが、松尾芭蕉は「(日の出ている時間帯の)刻が長くなった〜」と1日よりも短い単位で季節の移ろいを感じ取っていたと思われる。

 学の無さを知ることが多い今日この頃である。

Exercise Today

Jog5 km @ 7:12/km (by Garmin)
Steps11,100 (Apple Watch)
Sit ups30

Calories Today

ダノンBIO 旬摘みブルーベリー62
トースト1枚148
メロンパン349
カレーキャベツ盛り ホットドッグ311
鶏鍋332
こだわり極プリン(1個)(アンデイコ)167
間食
あんドーナツ半分155
エッグサラダ(1皿)(コメダ珈琲店)236
豆菓子(4袋)(コメダ珈琲店)100
苺のショートケーキ314
摂取カロリー合計2,174
消費カロリー2,700(Garmin)
消費/摂取超過526
脂肪換算-73g
体重X2kg

Mt.Fuji Today

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